【美しさの価値とは?】清朝粉彩花鳥紋輪花皿  乾隆帝時代

 

 



こちらの粉彩皿は清朝6代皇帝、乾隆帝の時代に焼かれた物です。


絵付けは非常に美しく中国独特のくどい感じが無く、どちらかと言うと西洋アンティークの様な色気、印象を受けると思います。


清朝磁器には「輸出手」と言うジャンルがあるのですが、それらは国内向けの物では無くヨーロッパ向けに焼かれた物です。


当時、白磁の清朝磁器は世界の最先端を行っており、欧州の王族、貴族に大人気でした。


その後焼かれるドイツのマイセン、フランスのセーブル等にも大きく影響を与えました。


本品はポルトガルの貴族向けに焼かれた物で、お皿の形状、絵付けの優雅さは特別に焼かれた物だと想像できます。


高い技術力と気品溢れる色気、これが乾隆時代の美術品の特徴です。


乾隆帝の文化的功績は大変大きく歴代皇帝の中では1番だと思います。


書物においては有名な「国庫全書」の完成等、焼物に於いては官窯、景徳鎮において宋代の焼物の復元を行いました。


竜泉窯の青磁も磁器として模倣した物が焼かれました。


その美しさを再認知し、近年の中国美術の高騰は紛れもなく国力に比例します。


20世紀末頃から始まった鄧小平氏による「改革開放運動」「経済優先主義」、分かりやすく言うと「金持ちに成れる奴から成れ」と言う政策路線により何年にも渡りGDPの二桁成長を続け、気が付いたら、あっという間に日本を追い抜いて行きました。


私はその過程を清朝美術品の価格変動により実感していました。


清朝物の価格は僅か数年のうちに数倍に跳ね上がったのです。


一昔前、中国美術の主流は竜泉窯、定窯、鈞窯等の陶器「宋磁」でしたが、近年では清朝期の磁器が大変な人気になりました。


成功者達はこぞって清朝の官窯磁器を求める様になりました。


究極の美しさを持つ清朝官窯を持つ事が成功の証しとなったのです。


正に「皇帝になった」と言う事でしょうか。


官窯物の高騰に引きずられるように、民窯の物、それまではあまり相手にされて来なかった、道光、同治帝の19世紀の品々も値上りしていきました。


「清朝物は3代まで」と言う言葉があります。


ここで言う3代とは、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の事です。


清王朝は乾隆帝以前に3人の皇帝がいて、実際にこの3名は4代~6代の皇帝になるのですが、古美術品に於いては康熙帝から清朝が始まる感じになります。


在位で言うと1661年~1795年になります。


この頃が清朝の最盛期であり「清朝物は3代まで」とは、清朝物は乾隆帝迄の18世紀に作られた物が良いと言う事です。


19世紀、道光帝の時代になると英国との間にアヘン戦争が起こり国力の衰退により焼物も劣化して行く事になります。


これは、日本でも同様なことが言え、伊万里焼も元禄時代が最盛期であり、幕府の衰退と共に焼物の質は落ちて行きました。


おおよそ焼物の質は権力者の力の強弱と比例するものだからです。


本品の乾隆帝時代の粉彩の色気、美しさは目を見張る所ですが、康熙帝の時代の物はここまでの色気は醸し出していません。


雍正帝から乾隆帝にいたり、徐々に色気が表現される様になって行きました。


これは、先程お話しした伊万里焼にも言える事だと思います。色気に於いては、やはり元禄期の物が1番だと思います。


焼物の変換は何処の国に於いても似ており、稚拙→質の向上→色気→衰退という過程を歩むのでは無いでしょうか。


先に述べました様に良い陶磁器を焼くには、強い国家権力が必要です。


文明の発達、権力の分散、価値観の多様化等において現代社会では生み出す事が出来ない物が古美術品の中には沢山あります。


それこそが古美術品の美しさの価値なのです。

 

 

 

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